布谷文夫年表(76年5月布谷文夫特集より) 再改訂
この日の放送は布谷氏を単独ゲストに迎え、ナイアガラ音頭で一躍シーンに登場するまでの彼の音楽人生にスポットをあてたものでした。今回はそれにポプシクルの大滝詠一特集とグラフナイアガラの大滝年表中の関連部分等を併せて年表形式にしてみました。萩原健太氏のBB年表にはかなわないけれど、お楽しみください。誤りがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
1947年 1月 | 1月25日 北海道函館市に生まれる。 中学時代は野球、高校時代はスキーとスポーツ少年だった。 音楽は三橋美智也をイカレテいた。 「やっぱ、三橋美智也がさ、石狩川エレジーなんか、♪君と歩いた石狩の〜、こんなもんでいいですかね(笑)」 |
1965年 3月 | S大学経営学部入学のため上京。 「何でS大学にしたの?」「いや、どこでもよかったんだけど、どっちかっていうとコツコツ勉強するタイプじゃなくて、一夜漬けだったから、なるべく試験日が早い大学のほうがパッと覚えてパッと試験できるから。S大学は2月1日くらいに北海道で試験あったから」 この1年は特に何もしなかった。 |
1966年 3月 | 学友と東京R&B5に加入。寮祭やダンパで活動。 彼にとっての音楽活動のスタート。 |
1967年 3月 | 解散。この頃大滝と知り合う。 |
同年夏 |
東北出身在京者中心のタブー加入。ギター洪栄龍。ドラムは大滝。 レパートリーは寺内タケシの「元禄花見踊り」〜ギターのインスト で「グリーンフィールズ」〜ストーンズの「サティスファクション」 「ハート・オブ・ストーン」と異常に幅広かった。布谷はここで知り合った大瀧に後に中田佳彦氏を紹介する。大瀧は中田氏を介して細野と知り合うことになるが、それはまた別の話。 写真 中央 大瀧、左端 布谷 写真の使用を快く許諾していただいた大瀧氏、またご面倒をおかけした城田氏に感謝いたします。 Copyright(c)1997 THE NIAGARA ENTERPRISES |
同年末 | 解散。 なお、別の資料では同時期布谷は東京R&B4も主宰。大滝もメンバーだったとある。 |
1968年 3月 | ビッキーズ加入。ギター洪栄龍。 ジャガーズの前座として活躍する(衣装はミリタリールック)。持ち歌の1曲がジャガーズのマドモアゼルブルース。「衣装から何からジャガーズのお下がりでさ、あの頃はモッズルックとか流行っていたから」 |
3月 | 東京12チャンネル「東京R&B天国」に出演。 5週勝ち抜き優勝する。その時の賞品であったサーフボードは、本人がサーフィンをやらなかったため、周囲の人間の物となる。 |
10月 | 竹田和夫加入。洪栄龍脱退。 渋谷のグルービー等を拠点として活躍。 この頃、マネージャー的存在だった大滝はステージに飛び入りで参加しエルビス・スタイルで「500マイル」を歌ったと記録にある(この飛び入りは後のブルース・クリエーション時代まで続く)。 |
1969年 1月 | ブルース・クリエーションと改名。7人編成。 |
7月 |
ポリドールよりアルバム発表。「BLUES CREATION」 アルバム用に用意された曲の中には大瀧作詞作曲「2人のブルース」があったが事情により入れられず(この曲は後にDEWの持ち歌として復活することになるが、更に布谷がソロで取り上げることは上記参照)。 TBSの「ヤング720」に出演。 「和夫がブルースをやりたいって言うんで、俺ももう一回根底から掘り起こそうって、すべての根源はブルースにありということで、ジョン・リー・フッカーとか、最初はレパートリーないからクリームやったりして、最後はシカゴ・ブルースにいっちゃうんだよね」 この頃、布谷・大滝・竹田の3人は夜を徹して3次元や4次元の話をしていた。そして、そのまま早朝ボーリングに通ったそうである。 「布谷さんのボーリングが強烈でね。ガターに落ちた球がまた戻ってきてストライクになったりしたんだよね」(大瀧) |
9月 | 第1回ロックフェスティバル出演(NMM主催)。 |
12月 | ブルース・クリエーション脱退。 「ステッペンウルフのボーントウビーワイルドを聞きロックをやりたくなったんだよね。クリームなんかやって、演奏が長くなって退屈だったっていうのもあって」 |
1970年 1月 | DEW結成。ギターは洪栄龍。 |
2月 | 東北を巡業しながらバンドのカラーを作る。 |
8月 | メンバーチェンジ。 ジョー・コッカーばりの派手なステージ。 「最初からウッ!ていう感じでマキシマムでさ、マキシマムの男とか言われてさ」 |
1971年 3月 | メンバーチェンジ。 「学生だからさ、春になるとよくメンバーチェンジしたんだよね」 |
8月 |
第3回全日本フォークジャンボリー出演。 同コンサートの模様は89年キティからCDで発表された。また、98年東芝から同音源が(同シリーズコンピ盤にも1曲収録)発売された。 収録曲 からのベッドのブルース、傷ついて、夏は終わり、フーチー・クーチー・マン・ブルース、二人のブルース、ぼくの天使、悲しき願い |
三里塚コンサート幻野出演。 同コンサートの模様は同年、創世紀レコードより発表されている。また、86年ソリッドから復刻編集盤が発売された。オリジナルに収められたDEWの「二人のブルース」「夏は終わり」は2曲とも編集盤に収録されている。 |
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同年秋 | 京都で風都市コンサート出演。村八分などと共演。 |
12月 | DEW解散。 |
1972年 1月 | ソロ活動スタート。 |
8月 | ビクターポップレーベルより「空のベッドのブルース」発表。 余談だがゴーゴーナイアガラでは同曲を放送させるために「空のベッドのブルースをかける会が結成された。 |
1973年 3月 | ごまのハエ上京、大滝宅そばに居を構える。 布谷がよく寝泊りするようになったのもこの頃である。 |
5月 | 春一番出演。 「ごまのはえをバックに Dr.John & Night Trippers 顔負けのすごいステージを見せてくれました。ドラムが上原裕、ギターが伊藤銀次で、女性コーラスが5人くらい、パーカッションなどの大所帯。上原裕が叩くセカンドラインのドラムと、フリにあわせて踊りながら歌う女性コーラス、そして布谷氏の歌が、強烈な印象を私に与えました。20年以上も前にあんなステージやってたなんて驚きでした。もしかすると、今でもあんなステージでやっている人はいないんじゃないかなと思います」(三浦豊樹様のコメントを再構成m(_ _)m) |
9月 | はっぴいえんど解散コンサート出演。 「冷たい女」他を熱唱。 |
11月 |
ポリドールよりアルバム「悲しき夏バテ」発表。 セールスは数百枚。大瀧は後に「このレコードを買った人は正に選ばれた人間」と語っている。同アルバムは今年復刻が予定されている。 |
同じくシングル「台風13号」発表。 なお、同シングルは両面ともポリドール89年発売CD「日本ロックの逆襲スーパーシングルズ」に収められている(写真右)。 |
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1974年 5月 |
春一番出演。 同コンサートでの演奏(夏バテ)は現在キングより発売中のCD春一番スペシャル・セレクション「地球は皮をはいだ」に収められている(写真)。 |
7月 | 三矢フォークメイツコンサートゲスト出演。 当日「深南部牛追唄」の達者でなバージョンを発表する。バックは伊藤銀次、田中章弘、上原裕、駒沢裕樹、岡田徹、ゲストに鈴木茂。達者でなさんは元気かな?(内輪ネタでスマン) 「今日は雨降る中ようこそ。この後はシュガーベイブの皆さんとか、大瀧さんとか出ますから、ゆっくりしてってください」〜当日のPAより |
10月 | シュガーベイブレコーディング参加。 |
11月 |
ホーボーズコンサート出演。 同コンサートの「冷たい女」「深南部牛追唄〜大阪へやってきた」はキングより発売中のCDホーボーズコンサート5に収められている。 |
1975年 1月 | ロフト出演を最後に音楽活動停止。 なお、同時期「フッサストラット」レコーディングに参加している。 |
2月 | サラリーマンとなる。 イーチがラジオでは会社名を発言しているが、ここではカットした。 |
1976年 3月 | サラリーマンを続けるかたわら「ナイアガラ音頭」で再デビュー。 ナイアガラ・トライアングルコンサート出演。 |
6月 |
日コロよりシングル発売。 プロモーション 6/5新宿コタニで発表会 6/20LFで喉自慢大会(約20名の喉自慢が参加、後半はオークション、隣のスタジオで収録中だった細野氏も途中から参加〜伏見様からの情報) テレビ出演はアミーゴガレージ参照。 「やっぱ、俺は十年おきに出てくる男、十年周期の男なんだよね」 |
1977年 6月〜8月 |
ファースト・ナイアガラ・ツアー参加。 |
1978年 9月 | 「レッツオンドアゲイン」レコーディング参加。 自名義で「レッツオンドアゲイン」「呆阿津怒哀声音頭」を収録。 |
布谷氏の音楽活動は、この間も細々と続いています。ミスター春よ来い明弘君によれば、原宿のクロコダイル等でライブを何回か行なっているそうです。また、ぴあのライブハウス欄で時々その名前を見かけることがあったのを思い出しましたが、詳細は不明です。 | |
1990年 1月 | 布谷文夫&DEW名義でライブ。 「幻のBLUES BAND」(原宿クロコダイル) |
1997年 5月 | いきなり春一番97出演。 詳細を知りたいは 音羽さん@幸せ者のホームページへどうぞ。画像入りですよ! |
布谷氏の再発は過去89年の日本ロック再発見ブームによりファースト、ブルース・クリエーション、DEWのライブ音源等が出ています。中古屋廻れば、まだ見つかると思います。追記:現在発売中の布谷関連のCDは4枚。ありがたいものです。 というわけで、誰かがやるまでは日本で一番詳しいであろう布谷文夫年表、いかがでしたでしょうか。ご感想等お寄せいただければ幸いです。 |