ライブ見聞録


地下広場
全日本フォーク・ジャンボリー〜だからここに来た〜
(2001.8.17 BOX東中野)

”地下広場”の舞台となった新宿駅西口の地下広場は、 1969年2月ごろから歌で安保反対を訴える「フォーク・ゲリラ」と呼ばれる若者が集まり、 市民や学生ら数千人が週末に歌ったり討論したりする「解放区」になった。 しかし5月、警察は道路交通法を根拠に討論や合唱を禁止、「広場」は「通路」に変わる。 歌で社会が変えられるんだという、今では考えられないほど、歌の持つ力に対して信仰のあった時代、 その幻想の産物がフォーク・ゲリラであった。 この作品は1969年に完成、1970年に数回上映された後、「時代は変わってしまった」と監督の手元にしまい込まれてきた。 その後は映画祭などで数回上映されただけで、今回が劇場初公開となった。
新宿駅西口の地下広場(1969年) 岡林信康&はっぴいえんど
”全日本フォーク・ジャンボリー”は1969年から1971年までの毎夏、岐阜県恵那郡坂下町椛の湖畔で開かれた、 日本フォーク史上最大のイベント。 この映画は観衆7700人を集めた第二回目のフォーク・ジャンボリーの記録である。 狂言廻しは岡林信康と自由劇場の吉田日出子(とっても若い!)。 小室等と六文銭の「ゲンシバクダンの唄」という風刺ソングからステージが始まる。 遠藤賢司のギターをかきならし歌う「夜汽車のブルース」は最高の出来。 村岡実とニュー・ディメンションの和楽器による「テイク・ファイヴ」はかっこいい。 そして岡林信康&はっぴいえんどの「私たちの望むものは」で最高潮を迎える。 ”私たちの望むものは、社会のための私たちではなく、私たちの社会なのだ”と絶叫する岡林。 このとき岡林のバックバンドであったはっぴいえんどの面々はつまらなそうな表情だが、演奏はグルーヴしている。 この作品は1970年から1971年にかけて全国で自主上映された後、 製作母体だった音楽舎の倒産などがあり、ずっと倉庫の奥で眠っていた。

ALICE LIVE 2001 -WE ARE HERE-
(2001.7.20 日本武道館)

「冬の稲妻」は初めて買ったレコードだ(もっとも他人のために買った郷ひろみの「お化けのロック」を除く)。 海の日の当日、東京ドームの野外ビアガーデンで一杯ひっかけて(炎天下で飲むとこれがまた酔っ払う)、いざ武道館へ。 おー、すごい人波。そして人々の平均年齢がとっても高い! いよいよ復活コーサートの初日が始まる。前半は「ザ・ベストテン」のヒットチャートを席巻していた黄金時代のオンパレード。 谷村&堀内のパワフルな唱法と矢沢のノリノリのドラミングは25年過ぎたという時代を感じさせない。 軽妙なMCをはさみながら中盤はメンバーのソロからデビュー時代のアンプラグド。矢沢のピアノ弾き語りは貴重か。 後半は「遠くで汽笛を聞きながら」〜「チャンピオン」で盛り上がり、アンコールは「明日への賛歌」1曲で終了(そりゃないぜ)。 帰り神田の焼肉屋で豚足(美味でヘルシー!以後やみつきになる)と青春時代の回顧をつまみにウーロンハイ。 ほろ酔い気分で谷村のトレードマークのキャップを着帽し、コンサートの余韻を残しつつ家路へ。

寺内タケシとブルージーンズ ミレニアムコンサート
(2000.10.1 横浜市金沢区公会堂)

ジェフ・ベックも、カルロス・サンタナも、リッチー・ブラックモアも、みんなTERRYに憧れた! ギターの天才 寺内タケシは子供のころからバカだった!? 好奇心とチャレンジ魂、そのあとは突っ走る、ただひたすらに、突っ走る・・・。
5歳のときからギターを手にし、9才にしてエレキギターを独自で製作。中学時代に本格的バンド活動を開始。 関東学院大学在学中よりプロ活動。ミッキー・カーチスやジミー時田とバンドを組んだのち、ブルージーンズを結成。 そのギターテクニックはパワフルでダイナミック。世界中の多くのプロギタリストが彼のギターを目標としたほどであり、 わが国のエレキ界のドンとして現在でも一線級のプロに慕われる存在である。「津軽じょんがら節」に見られるような和物においても、 他の追随を許さない独自の世界を形成している。
「横浜市金沢区に文化ホールの建設を!!」をキャッチフレーズに、 第12回金沢ふれあいコンサートとして行われた会場には、 第一期ブルージーンズのエレクトーン奏者である故・鈴木八郎氏の息子が来ていた。 また、現ブルージーンズにはTERRYの息子である寺内章もボーカル&パーカッション参加しており、時代の流れを感じる。 お馴染みの「テリーのテーマ」で始まった第一部は世界各国のスタンダードをヤマハ・ブルージーンカスタムで一挙30曲をメドレー演奏。 第二部はゲストの林寛子・オンステージのあと、定番『レッツゴー・エレキ節』と『レッツゴー「運命」』から気合いの入った白熱の演奏。 特に「津軽じょんがら節」はモズライトを三味線のようにかき鳴らし、気合いの入った奏法はいつ聞いてもかっこいい。 続いてTERRYのトーク。大学の電気科時代に自分でエレキギターを作ったことや、 ”エレキは不良がやるもの”といわれていた昭和40年代、エレキのコンサートを開く会場がなかったこと、 その固定観念を覆すために日本中の高校で演奏したことなど、現在に至るまでには紆余曲折があったようだ。 フィナーレはTERRY作詞・作曲の「青春へのメッセージ」を会場と合唱。 ”ギターは弾かなきゃ音が出ない!”との名言を残し金沢を去った。

真夜中のゴーゴー!VOL.2〜ニューロックの夜明け〜
(1998.12.26 クラブチッタ川崎)

サニーデイ・サービスの曽我部恵一氏と特殊プロデューサーのサミー前田氏が中心となり、 企画監修をした1970年代前半の和製ロックのCD復刻シリーズ「ニューロックの夜明け」。 1998年、Pヴァイン・レコードから始まりワーナーWEA編、コロムビア編と続々リリースされ、 リンクした形でURCのレアトラックス・シリーズもリリースされた。とりあえずこのシリーズは一段落し、 98年は最も復刻CDが溢れた年だった。 曽我部、前田両氏の他にも、ライナーを書いてくれたフラワーカンパニーズなどのレコメントもあり、 DEW「布谷文夫ライブ」、遠藤賢司「黎明期ライブ」、瀬川洋「ピエロ」、乱魔堂「乱魔堂」などのCDは、 予想以上のセールスを記録したようだ。そんな一年の終わりを記念して、 ニューロック時代から90年代を生き抜いた平均年齢48歳(!)の壮絶なメンツのベテランロッカーを中心に、 ワン&オンリーの個性を集めたオールナイト・イベントとして行われた。
開演予定の約1時間遅れで一番手のエンケンこと遠藤賢司が登場。 忌野清志郎そっくりのツンツンヘアに派手なコスチュームで登場したエンケンは、 今回はバックバンドを従えず、一人でフォークギターとハモニカでいきなり「不滅の男」を叫びまくる。 デビュー30周年を迎えたとは思えないパワフルなステージパフォーマンスだ。軽妙なMCをはさみながら、ギター1本で 「満足できるかな」「カレーライス」「東京ワッショイ」「夢よ叫べ」などを、 ギターの弦をブチ切りながらも絶叫し続けるのはさすがエンケン、 不滅の男!最後は歌舞伎役者よろしく消えていった。
深夜2時を過ぎ、二番手はいよいよ布谷(アミーゴ!)文夫&DEW。動くアミーゴを見るのは始めてだ。 メッシュの入ったパンチパーマにサングラスと、黒のカシミアコートでスニーカーといういでたち。渋すぎる! バンドのメンバーが凄い。ベースがルイズルイス加部(元ゴールデンカップス)、キーボードがシノ篠原(元ハプニングスフォー)、 ギターが藤田洋麻(元久保田麻琴と夕焼け楽団)、ドラムが井ノ浦英雄(元久保田麻琴と夕焼け楽団)。 それにしてもルイズルイス加部は絵になる男だ。
いきなりボトルネックから始まる「二人のブルース」を絶叫する。 1971年第3回全日本フォークジャンボリーを彷彿させる、ブルース・クリエイション時代からのソウルフルな歌い方は今も健在だ。 その後も、シャイな人柄がわかるMCをはさみながら、「冷たい女」「グロリア(ゼム)」「颱風13号」「スキヤキ(坂本九)」 「深南部牛追唄」「達者でナ(三橋美智也)」「呆阿津怒哀声」「悲しき夏バテ」「レッツオンドアゲイン」とDEW&ナイアガラ時代の名曲を歌い続けた。 99年は1月29日に渋谷「LIVE AT CROCODILE」で始動予定。こうご期待。