Thanks for NiftySERVE FBEAT Forum#7 @ 6/7/98
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05411/05447 VYT00134 あがった 大の付く、傑作、です。
( 7) 98/05/27 09:39 05381へのコメント
いやぁ、こりゃぁ、偉いこったす。
すっごい、アルバムが出たもんだ。百見は一聞に如かず。
高田渡 監修 「貘−詩人・山之口貘をうたう」
B/C RECORDS BCD−4 2800円
5月24日 発売 配給 メタカンパニー(03−5273−2821)
1. 年輪・歯車/高田渡・佐渡山豊・石垣勝治
2. 結婚/高田渡
3. 深夜/高田渡
4. たぬき/つれれこ社中
5. 座布団/大工哲弘
6. 告別式I/高田渡・石垣勝治
7. 玩具/石垣勝治
8. 第一印象/石垣勝治
9. 鮪に鰯/ふちがみとみなとWITH高田渡
10. 頭をかかえる宇宙人/ふちがみとみなとWITH高田渡
11. 貘/佐渡山豊
12. 会話/佐渡山豊
13. 紙の上/佐渡山豊
14. 告別式II/嘉手苅林次
15. ものもらい/大島保克&オルケスタ・ボレWITH高田渡
16. 石/大島保克&オルケスタ・ボレWITH高田渡
17. 夜景/高田渡
18. 生活の柄/大工哲弘・高田渡
とにかく、こりゃぁ、すごい。
聞くべし。聞くべし。聞くべし。
98/05/27(水) 01:56 あがった(VYT00134)
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05412/05447 VYT00134 あがった おなじみの、短い渡。もしくは、事だよ。
( 7) 98/05/27 09:40
高田渡が、高田渡のままに、高田渡を唄う、夜に。
大阪・十三は、不景気風に煽られた蓮っ葉な繁華街。
ピンクだとか、パープルだとかの派手なミニのワンピースを着古しながら、
呼び込みなどはまるで二の次に、世間噺に打ち興じる。
安っぽくけばけばしいネオンの看板すらも立ち尽くし、寄る辺すらない。
そんなところで迂闊にうかうかとしてはいけないよ。
声かけられて、うふっふと笑いかけられ、そっぽを向くと、ヤな顔をされる。
一目散に前を向き、すいすいと歩く。なまじの好奇心なんて、埃まみれがオチで、
どこ吹く風を切って歩く。なんといっても、ここは大阪・十三なんだから。
お馴染みのサンポートのエレベータじゃなく、馴染みのない階段を二階へと上がる。
そこが、ミノヤホール・声ひっくり返る・岸田さんの新天地「レッド・ライオン」
始めてなんでキョロキョロしていると、なんと洒落た造りのレストランバーだ。
予約だというと、チケットの半券にお名前を、と言われ、いやいやいつもミニコミ
は送ってもらってる、と応えると、もうまるでミノヤホールでの出来事のよう。
正面のカウンターにおられるではないか、高田渡その人が。
変な模様のアロハシャツを着た後ろ姿を見間違うことなく、
良い席を決めるのにあたふたしている間、横目で確かめる。あの色じゃ、ビールだ。
ネクタイ姿の岸田さんが、じゃぁ、7時には帰ってきてくださいな。と手を振る。
「渡さん、お酒飲んでるんですか?」僕はしっかりと確かめてみるんだ。
いえ、それ程のことはなく、匂いはするけど、やっぱ、それ程のことはない。
そうそう、友川かずきさん、やりますよ、来てくださいね。
それに、あがた森魚のタンゴライブ。そうだ、あがた森魚・斉藤哲夫ライブだって。
どんどんと来てください。じゃないと、僕は首つらなきゃね。
いつものように声ひっくり返しお話しする岸田さんに、相づちを打って、
あがたさんのライブなら、それもタンゴのライブなら、二つ返事で相づち打って、
ピザとピラフとドリアをたいらげ、レーコーを飲みながら、
体力がねぇ、だとか、寝てもねぇ、だとか、と散々僕の意気地無さを笑い下す頃、
まるで、遅れてきてやってきた客が席を探しているように、高田渡が登場すると。
ライブなんだから、それが当たり前なんだが、高田渡は唄う。
弾き語りなんだから、それが当たり前なんだが、高田渡が弾く。
なんだかんだと喋りながら、なんだかんだと唄いながら、
「渡色」の時間が弧を描くように行ったり来たりする。そう、行ったり来たり、だ。
うんと、高田渡、だ。順不同に、「仕事さがし」「新わからない節」「鉱夫の祈り」
「アイスクリーム」「おなじみの短い手紙」「珈琲不演歌」「値上げ」「夕暮れ」
「ミミズのうた」「鎮静剤」「69」「十九の春」「結婚」「深夜」「鮪に鰯」
「ものもらい」「生活の柄」 まったくに、高田渡、だ。
えへらえへら、と笑い。こんな唄なんぞ、聞くもんじゃない、と茶化し。
丸抱えの唄は、唄えや踊れと、浮かれ出し、唄以外の何物でもないことを、唄う。
高田渡が唄を唄っているのか、唄が高田渡を演じているのか。
高田渡が唄そのもので、唄がまた高田渡そのもので。
唄と高田渡の間柄は、人間と高田渡の間柄そのもののようで。
呆れてしまったこの僕は、「真摯な下劣」と密かに名付けては、
「真摯な下劣」をしこたまに笑っては、「真摯な下劣」にしこたまに笑われる。
まるでまったく意味がないようで、丸まるのまったく意味だらけのようで、
たぶらかされたり、突き放されたり、抱きしめられたり、頬ずりされたり。
「真摯な下劣」が高田渡にお似合いで、だから山之口獏にもお似合いで。
もう、イヤっちゅう位に唄ちゃう。驚くんじゃないよ。
線香花火の最後のひとひかり、だなんて言われても、そうでございますか、だよ。
幾らだって唄うんですからね、当分大阪には来なくていい、と言わす位、唄ちゃう。
僕の唄、聞けるんなら、誰の唄でも聞けるんよ。もう、恐いものなど、ないよ。
こんな言葉を思い浮かべながら、蓮っ葉な繁華街をふらふらと帰っていると、
不景気すらさえ丸っぽに愛おしく、蓮っ葉ささえ丸ごとに名残おしい。
これでもかとばかりに、にやついた笑顔でうかうかとして歩いているというのに、
さんざめく十三は、そんな僕をほったらかしにしたままに、道を開いているんだ。
僕が、まるで僕のままに、僕を唄いたい、夜に。
−− メンテに泣く。遅すぎたのネ。 −−
98/05/26(火) 23:50 あがった(VYT00134)
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05416/05447 VYT00134 あがった 唄の力−「山之口貘トリビュート」
( 7) 98/05/28 00:51 コメント数:2
「唄の力」なのだ、まったく。
一枚が丸ごと詩人・山之口貘の詩を唄うアルバムである。
といって、山之口貘なんぞという詩人はおいそれとは知られていないと、くる。
監修として、高田渡、だ。いや、だからといって、知っている人も少ない。
まったくもって摩訶不思議なアルバムである。
その上、トリビュートであるから、いやはや、たくさんの唄い手たちが唄う。
ほとんど世間には知られていない唄い手たちが、なのである。
マイナー好きなこの僕にしてからが、ムムムムッと、唸ってしまうのである。
世間では、何にもなかったような、そんな扱いが相当のアルバムなのではある。
その上、山之口貘という詩人は、沖縄出身の詩人などときた。
ヤマトで大成した詩人でもなく、沖縄ローカルな詩人でだってない。
打ち捨てられた詩人であるのかといえば、そうでもなくて、一種独特な座りどころ。
知る人ぞ知ると、えばったものでなく、伝説の埋もれた大詩人でも当然にない。
知っている人には、たまらん人で、知らん人には、居なかったも同然に。
生前「貘さん」と呼ばれて親しまれていたというこの詩人は、
ボヘミアンであり、貧乏詩人であり、借金屋であり、便所の汲み取り屋でもあった。
僕は、昔、「生活の柄」で山之口貘を知って、詩集を持っていたのだが、
無くしてしまって、本屋で探して見つからなくて、ずっと探してやっと帰ってきた。
で、筑摩文庫、かの茨木のり子の「うたの心に生きた人々」という本にも出逢った。
まぁ、山之口貘のことはよろしい。知っていれば、儲けもん。で、よろしい。
が、このトリビュートを知らぬのは、いかん。もうどうにも、いかん。
唄い手の名前など、もうどうでもよろしい。
とにかく、「百見は一聞に如かず」なのである。
唄を唄であらしめる、人の声がそこには、在る。豊穣一方な人の声なのである。
唄を唄であらしめる、人の言葉がそこに、在る。いぶし銀にまで練られた、単純さ。
のんべんだらりんの心地よさが、のべつくまなく、こんにちわとやって来て、
無遠慮に上がり込んでは、お茶を一杯、所望つかまつる。ってなもんだ。
「貘」然と、駄々洩れるその心地よさに、うつつを抜かす、僕だった。
98/05/28(木) 00:06 あがった(VYT00134)
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05424/05447 RXS00320 ごっちゃん Re:唄の力−「山之口貘トリビュート」
( 7) 98/05/30 01:01 05416へのコメント
あがったさん、
さっそくの「山之口貘トリビュート」の御感想を、ありがとうございます。
高田渡のシングル「十九の春」は購入しても、「山之口貘トリビュート」の方は、
未だ未購入であります。
名古屋駅前・近鉄百貨店のタワーレコードには、置いてなし。
やっぱり、予約を入れないと、いけないのだろうか?
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05437/05447 SDI00586 *久田 頼 RE:唄の力−「山之口貘トリビュート」
( 7) 98/06/03 00:26 05416へのコメント コメント数:1
僕たちは、山之内獏を知っている。
活字ではなく、心地よく耳を刺激する唄として。
高田渡と山之内獏の出逢いは必然だった。でもこの奇蹟が生まれるのは、
大海の中から1枚の金貨を探し出すほど確率でしか無かったはずだ。
高田渡の唄は、歌わない瞬間が素晴らしい。
言葉から言葉に漂っていく瞬間の間(ま)。余韻を引きずりながら次の
言葉へ移るほんの間に、高田渡にしか歌えない唄が見えてくる。
詩を唄う。言葉を唄う。
これは高田渡にしか出来ない、静寂の唄をうたえる彼にしか。
・『獏 詩人・山之内獏をうたう [監修・高田渡]』 (B/C BCD-4)
高田渡の唄は、「相変わらずの」という言葉が真摯に口にでるほど変わ
らない。おいそれと変わらない彼が渡なのだ。
内田勘太郎の風景のように寄り添うスライド・ギター、足踏みの無邪気
な愉しさを増幅したような渋谷毅のピアノが加わっても、それでも渡は
渡だ。いつになく、嬉しそうな声に聞こえはするが。
大工哲弘の木訥とした力強さを、僕らはもう知っている。
眠そうなシバを思わせる石垣勝治の歌声が、これほどまでに山之内獏に
似合うのは、大発見だ。
中でも勘太郎がとびっきりの旋律を与えた「第一印象」は、この一曲を
して二人の名前を永遠にかたり継がせえるだけの力がある。
佐渡山豊を、僕は誤解していた。
沖縄から出てきた元気なだけの青年は、地元でたまらなくいい歳のとり
方をした。「紙の上」は、彼にしか唄えない。貴重な歌い手を、僕らは
再発見したのだ。
まだこのアルバムには、いろいろなものがいろいろと詰まっている。
それはまたゆっくりと。急がなくても、このアルバムは何処にもいかな
いし、変わる事もない。そう、高田渡や、山之内獏のように。
*久田 頼
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05439/05447 VYT00134 あがった 唄う言葉。
( 7) 98/06/04 02:11 05437へのコメント
『貘』然とした時代。飄然と唄う、詩。
そもそも、高田渡の「いつも」は、もう30年近くも続いてきた「いつも」で、
いつものように、唄を唄い。いつものように、酒をくらう。
何でもない「いつも」であって、なにげない「いつも」が、平然と続いている。
すると、「平然」は「飄然」に、「漠然」は「『貘』然」と、その姿を変えた。
山之口貘の詩は、生きるってことの何でもなさを、詩う。
貧乏は貧乏で、放浪は放浪。生活は生活で、家族なんて家族。
たかだか、身の丈六尺にも満たずに生きていて、あくせくしたって間尺に合わぬ。
何処に生きようが、平然。どう生きようが、飄然。
「人間なんざぁ、変わらぬものさ」五〇年近くを隔てて出逢った、一目瞭然。
佐渡山豊なら、「さよならおきなわ」で、97年早々に、出逢ってた。
奇を衒わず、見栄をはらず、すんなりと、唄う。
唄うままに、まかせて。ストイックの、対岸。ただ、唄を唄えば。
むかし、フォークだと云われていた唄、そのままに。
無理をしてまで、変えることは、ない。変わることなら、変わっていく。
とその時に、書き込んだ。「会話」に「紙の上」、また一枚が重なる。
石垣勝治である。まったくの初見で、いきなりに飛び込んできた、唄声。
ぴーんと来たものがある。う〜んと、考え込んでは、はたっと手をうった。
角を丸くした遠藤賢司の声のようではないか。これもまた飄々。
島々を流れる時の悠然さの如く。純然たる、偶然の必然。
嘉手苅林次に、大島保克。腹の底から、声はやってくるんだと、今更ながらに思う。
深い深いところから、方々を抜け、方々を巡っては、やってくるんだよ、その声は。
だもんで、口から出たって、口から出たくらいでは、そうそう、弱りなどしない。
声は、声であることを、さも当然かのように、声として伝える。
平然、飄然、漠然が、そらもう、一目瞭然に。徒然として、唄う言葉の、本然。
98/06/03(水) 22:55 あがった(VYT00134)
ニフティサーブ・FBEATフォーラム7番会議室からの転載です。
あがったさん、ごっちゃん、久田 頼さん
ありがとう。
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