Sheena & The Rokkets - rockjuke INDEX - ROCKJUKE#15 - 参加希望の方

鮎川誠ロック塾第15章 
2019 4/21 (SUN) 7:00pm 
「初期のストーンズとビートルズ (London Vs. Liverpool)」
@ JUKEJOINT, Maizuru, Fukuoka


『ミート・ザ・ビートルズ』
ビートルズ! / Meet The Beatles
日本オリジナル発売日:1964年4月15日
1. 抱きしめたい / I Want To Hold Your Hand
2. シー・ラヴズ・ユー / She Loves You
3. フロム・ミー・トゥ・ユー / From Me To You
4. ツイスト・アンド・シャウト / Twist And Shout
5. ラヴ・ミー・ドゥー / Love Me Do
6. ベイビー・イッツ・ユー / Baby It’s You
7. ドント・バザー・ミー / Don’t Bother Me
8. プリーズ・プリーズ・ミー / Please Please Me
9. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア / I Saw Her Standing There
10. P.S. アイ・ラヴ・ユー / P.S. I Love You
11. リトル・チャイルド / Little Child
12. オール・マイ・ラヴィング / All My Loving
13. ホールド・ミー・タイト / Hold Me Tight
14. プリーズ・ミスター・ポストマン / Please Mr. Postman



 鮎川誠ロック塾第15章、

「初期のストーンズとビートルズ (London Vs. Liverpool)」

★初めに
今夜もロック塾にお集りの皆さん。いつもありがとう。
今日のテーマは塾長の松本康の案内文がすべてを語ってくれているので、今一度見ていただきたい。

 『鮎川誠ロック塾第15章、間を置かず開催。鮎川先生、乗っている。今回のテーマは「初期のストーンズとビートルズ (London Vs. Liverpool)」です。鮎川誠のあまり具体的に語られない初期のインスピレイションがザ・ビートルズです。前回明らかにされたローリング・ストーンズからの影響に続き、その同時代のビートルズからの感化は何か。両者の、先人や同時代の音楽に対するリスペクトと返答。それぞれのカヴァーの仕方、さらにそこから発展したオリジナル曲の魅力に迫ります。
 副題は「ロンドン対リヴァプール」とあるが特に地域性を多角的に分析するのではない。だがローリング・ストーンズの『第一集』のレコードの帯が「これがリヴァプール・サウンドの決定盤!!」とあった。でもその間違いは今では明白だが、鮎川先生にその違いを解説してもらう。興味津々で、楽しめて、ためになる鮎川塾、今回も盛況必至。
 まだ参加したことのない人、是非参加を。いつからでも入れて楽しめる、親しみやすく興味深い鮎川誠の世界に貴方を誘(いざな)いたい !』

このように紹介をしていただきありがたい限りですw。

さて今回のテーマはビートルズ対ストーンズ、先日テレビで放送されたTOKYO SESSION, これは今五反田メッセで開催中のストーンズ展のアンバサダーをチャー、シシド・カフカとともに俺もご指名を受け広報の一環として出演したローリングストーンズの曲をプレイするライブ&トーク番組ですが、その日限りのセッションということで、その日までは各メンバーとの選曲の打ち合わせをメールでやっただけで、それぞれ自主トレをやって当日、土屋アンナとベース、井上富雄、キーボード、堀江の6人でせーのでやったけれど俺は最高に満足しました。メンバー全員のアンテナの感度が高く、ストーンズへの愛も強く最高にかっこいい演奏ができました、初めて一緒に音をだしているのに息の合い方は奇跡かと思うほどでした。これこそがストーンズ・マジックやね。番組用にバンドの名前を付けようということになり、俺の提案した「THE SATISFACTIONS」が採用されました、いい名前やねーw。
その時、ストーンズを語る場面でチャーが「昔はビートルズ派とストーンズ派にわかれていた」と言っていましたが本当にそうでした。ストーンズやキンクスなどは売り出し方もビートルズに対抗意識まるだしでした。音楽ファンはラジオでチャートを聞き、ストーンズは恐そうで嫌いだ、とか、ビートルズは真面目臭くてつまらないとか、みんな真剣に語り合っていました。俺はその時でも今でもどっちもすごいバンド、どっちも好きたいと思っていたけれど、たとえばクラス全体でみると97対3ぐらいでビートルズが優勢でした。

★日本盤のオリジナルにこだわるわけ。

昔シーナが何かのインタビューで「ビートルズがロックのドアはここよ、と示してくれて、ストーンズがそのドアを開けてカモーンといったのよ」と、うまいこと言うてくれた。思い出すたびに胸がスーとします。シーナ&ロケッツも「COME ON」がレコーディングのはじまりです。
そして前回のロック塾ではストーンズの日本上陸とそれを体験した俺の思いを語りました。楽しい思い出ばかりですが、それに欠かせなかったのが日本で独自の選曲と、アルバムタイトルまで第五集などと勝手につけて(笑)、リリースされた日本盤でした。俺はレコードを繰り返し聞き、ライナーノートをむさぼり読んでもっと知りたい、ストーンズに近づきたいと必死でした。そのうち、かっこいい輸入盤が出回り始め、次第に日本盤は外国と足並みをそろえだし、半年遅れのリリースとかもなくなり、一時日本盤はステータスが下がりました。今はダウンロードとかもあり、レコードそのものも過去の遺物化されてとてもさみしいですが、ロックが好きなこだわりのあるJUKEや頑張ってる評論家やDJや愛好家の皆さんがその火を消さずに頑張っています。
日本盤には帯がついていてアルバムの売り文句が書かれていてそれだけでも情熱的であったし、ライナーノートはそのバンドを知るのに唯一の手掛かりでした。何度も聞くから、次の曲が始まる前に頭の中に先に音楽が始まるのです。

特にビートルズは東芝オデオン盤の日本盤デビューアルバムはいま、聞き直しても最高の選曲です。「抱きしめたい」から「シーラブズユー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」から「ツイスト&シャウト」・・最後の曲「プリーズ・ミスター・ポストマン」まで、まるでベスト盤です。イギリスで出たファーストとセカンドアルバムには「抱きしめたい」から「シーラブズユー」も入っていなかったことを今回調べていて初めて知りました。
まあ、ここであんまりこだわるのも、タイムラインやその国のいろいろ事情もあったことだろうし、音楽は聴いて楽しむものであるから、この辺で音楽を聴きましょう。ただ、言いたかったのは日本盤はあの時代(1964年)にとても素晴らしい、いい仕事をやった、時代の文化に素晴らしい貢献をした、一言ねぎらいというか、称えたかったちゅうことです。

(Meet The Beatles!)
01. 抱きしめたい I Want To Hold Your Hand
02. シー・ラヴズ・ユー She Loves You
03. フロム・ミー・トゥ・ユー From Me To You
04. ツイスト・アンド・シャウト Twist And Shout (アイズレィーブラザーズのカバー)
05. ラヴ・ミー・ドゥー Love Me Do
06. ベイビー・イッツ・ユー Baby It's You (シュレルズのカバー)
07. ドント・バザー・ミー Don't Bother Me
08. プリーズ・プリーズ・ミー Please Please Me
09. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア I Saw Her Standing There
10. P.S. アイ・ラヴ・ユー P.S. I Love You
11. リトル・チャイルド Little Child
12. オール・マイ・ラヴィング All My Loving
13. ホールド・ミー・タイト Hold Me Tight
14. プリーズ・ミスター・ポストマン Please Mr. Postman (マーベレッツのカバー)
<日本オリジナル発売日:1964年4月15日*>


★俺がビートルズに出会ったとき

前回特集した初期のストーンズは最高にかっこよくて大好きですが、俺は最初はビートルズです。そして、今年2019年の先日はそのリンゴスターが博多サンパレスにやってきましたね、俺は見ることができなかったが、知って音を聞いて写真を見て「ジョン・ポール・ジョージ・リンゴ」の名を覚えて、ファンになって55年後に福岡にいるなんて夢のようにすごいことです。リンゴが登場して一曲目は「マッチボックス」でした。その光景を友人のフェイスブックの投稿で動画をみて感動しました。初めて聞いた時とおんなじ、相変わらずご機嫌なロックンロールでした。リンゴもノリノリでした。俺が高校3年のころには、「スロー・ダウン」と、この「マッチボックス」がカップリングでシングル盤がとても売れていた。友達の家に行くとたいがい、おいてあった。あと、「のっぽのサリー」と「アイ・コール・ユア・ネーム」のシングル、そして、「カンサス・シティ」「ロールオーバー・ベートーベン」「ミスター・ムーンライト」、武道館でも一曲目にやったチャックベリーの「ロックンロール・ミュージック」。ビートルズはロックンロールを日本にあっというまに広めました。
そして一方でチャートを駆け上がる「抱きしめたい」や「プリーズ・プリーズ・ミー」、アルバムに収録された「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「オール・マイ・ラビング」やらのオリジナル、とてもビートがあってメロディも人懐っこくて、一曲一曲がユニークなひねりがきいている自作自演の名曲の数々に俺は深くビートルズの信者になりました。

ビートルズが日本にレコードで上陸したのは1964年の2月「抱きしめたい」で、イギリス・アメリカでは先に出ていた「プリーズ・プリーズ・ミー」が3月に(そこまでが俺は中学生)、そのころ毎日毎日FEN(米軍向け極東放送ラジオ)からビートルズが流れ出していた。2月初めにビートルズは初めてアメリカにわたり、エド・サリバン・ショウに4週連続で出演、これも大きな反響やったらしい、そのあおりで日本にも興味を持つファンが増えたのやね。俺が人の弁当箱を包んでいた前日の新聞のコラムを見て、FENラジオで耳で聞いていた、いまいち発音が聞き取れなかったBEATLESがカタカナで「ビートルズ」と書くのかと知ったのもこの頃です。
そして4月15日にこのデビューアルバム「MEET THE BEATLES」の発売でビートルズの正体、全貌が明らかになりました。高校入学直後やったわけです。だから、新しいクラスの仲間に始めって会った挨拶が「おまいはビートルズは知っとるか」やったわけです。


いつか昔に俺が書いたFM番組“WE WANT THE BEATLES!”のためのアンケートが出てきたのでよかったら見てください。ちょっと、よそ行き風に気取ったところもあるのですが、当時の思いを書いています。

★エフエム・ココロ、“WE WANT THE BEATLES!”。
 (お名前)  鮎川 誠 です。

 (↓この問いかけを読み上げてから、お話しいただけますと助かります)

★1966年6月、ビートルズが来日したとき、どこにいて何をしていたか?

 ということなんやけど、あのとき、俺はね
 (以下の質問に答えるかたちで、お話を進めていただければyy)

 ▼1966年6月・・・何歳?   

     高校の3年生、誕生日も迎えていて18歳でした。

▼当時、暮らしていた街は?

  福岡県の久留米市で生まれて、ずっとそこで暮らしていました。

 ▼高校生だった鮎川さん、どんな高校生活を送っていました?

街で一番の文武両道の受験校で勉強とスポーツもたのしみながら、音楽仲間と音楽を聴きあさり気に入ったアーティストのレコードを掘り下げていました。ビートルズの当時のヒット曲にジョージがリードボーカルをとる「ロール・オーバー・ベートーベン」という曲があり、作者、チャック・ベリーの歌詞の一節に「Dig These Rhythm And BLUES」というフレーズの「DIG」が深く掘り下げる、探求する」という意味だとしったからです。 ラジオのヒットチャートや雑誌などからの少ない情報とあとは空想とイマジンでたくさんのアーティストに出会いました。オートバイの仲間とツーリングなどもたのしんでいたなあ。

 ▼その頃、(ビートルズのほかに)よく聴いていた音楽はどんなもの?

ローリングストーンズ、アニマルズ、キンクス、ボブ・ディラン、バーズ、ゾンビーズ、デーブクラーク・ファイブ、サーチャーズ、ヤードバーズなど、イギリスの、アメリカの新しいロックンロールをきいていました。 もともと、ビートルズが出現する前から、リトル・リチャード、レイ・チャールズ、エルビス・プレスリー、ポール・アンカ、クリフ・リチャードとシャドウズ、ロネッツ、サム・クック、ラジオのヒットチャートなどきいていて中学時代から、ポップスとくにロックが大好きでした。

★“ビートルズ”に話を絞ると・・・
 ▼ビートルズの存在を知ったのはいつ頃、どんなかたちで?

中学三年の三学期、当時地元の米軍向けの放送、(基地の名にちなんで)板付放送と呼んでいたFENからとつぜん威勢のいいギターサウンドのロックンロールが流れ出した。バンド名の発音が最初正しく聞き取れなかったが、昼食の時間に隣のやつの弁当の包み紙の新聞のトピックスではじめてカタカナの「ビートルズ」という活字で合致した。

 ▼初めて聞いたビートルズの曲は?
BEATLESというバンド名が聞き取れなかったころにたぶん、「I Wanna Hold Your Hand」、「Please Please Me」「Love Me Do」「My Bonnie」「Sweet Georgia Brown」「Why」などFENでたくさんきいた。 日本のラジオではたぶん「抱きしめたい」「プリーズ・プリーズ・ミー」「シーラブズ・ユー」のどれかだと思う。

 ▼来日した頃のビートルズに対する思いは、最初に知った頃と変わっていませんでしたか?
1964年に「ビートルズがやってくる ヤーヤーヤー」をみて動く、しゃべるビートルズに心を奪われた。ファンに追っかけまわされる人気者の彼らのすばらしい音楽と自由な振る舞いに深く感銘を受けた。次々に発表されるビートルズのアルバムを聴くたびにその音楽制作の才能に驚嘆しました。

 ▼来日公演はご覧になりましたか? (武道館で観た/テレビで観た ・・・など)
高校の友人の家に仲間で集まってテレビの中継を見ました。 かたずをのんで食い入るように見ました。

 ▼来日公演に関する感想は?
ビートルズのステージに登場の仕方、一曲目の「ロックンロール・ミュージック」がはじまるまでの緊張感がたまらなかった。新曲「ペイパーバック・ライター」思いもしない選曲の「ベイビーズ・イン・ブラック」、ブルースフィーリングのあるジョン・レノンの「ディ・トリッパー」、ラスト曲のポールがシャウトする「アイム・ダウン」まで、最高に魅了された。俺のロックバンドのライブの原点になった。

 ▼ビートルズが自分に与えた影響を感じることはありますか?
  (曲/演奏/ボーカル/存在/態度/ジョン・レノンのメガネ姿 ・・・など)

このビートルズの武道館公演は日本のすべてのロック好きに共有のビジョンが生まれたと思う。一ヵ月後、俺は名前も素性もよく知らない、ただビートルズを知っている、ストーンズも好き、というだけで出会った奴らと友達になりバンドに参加して初のバンド体験をして夏の納涼大会のプールサイドのステージでバンドデビューをした。俺のバンド人生はここから始まりました。

★(お名前をもう一度) yy以上、 鮎川 誠 でした。
----------- 引用終わり-----------

★俺の ”ビートルズ対ストーンズ” 選曲リスト

1.デビューシングル 「LOVE ME DO」 VS 「COME ON」
2.Stones Play Lennon-McCartney’s 「I WANNA BE YOUR MAN」
3.Same Old Song 「MONEY」
4.ラリー・ウィリアムス 「SLOW DOWN」 Vs 「SHE SAID YEAH」
5.アーサー・アレキサンダー 「ANNA」 Vs 「You Better Move On」
6.チャック・ベリー 「ROCK AND ROLL MUSIC」 Vs {TALKIN' ABOUT YOU」
7.チャック・ベリー 「ROLL OVER BEETHOVEN」 Vs 「CAROL」
8.Instrumental 「CRY FOR THE SHADOW」 Vs {STONED」
9.MOTOWN 「Please Mr. Postman」 Vs {HITCH HIKE」
10.1st No.1 HIT 「PLEASE PLEASE ME」 (Jan-63) Vs 「IT'S ALL OVER NOW」 (Jun-64)

ビートルズは日本より一年も早く、1963年1月に 「PLEASE PLEASE ME」 で一躍イギリスの人気者になったが、しばらくは先に決まっていたヘレン・シャピロの前座でパッケージツアーや、ブッキングしていたハンブルグのスタークラブのハコバンをやったりしていたが、ラジオの仕事も入りだし、合間にはレコーディングで多忙を極めていた。同じ時、ストーンズは1963年1月に最後のメンバー、チャーリー・ワッツがしぶしぶ参加してクラブでのギグをスタートした。リッチモンドのクラウダディ・クラブでのレギュラー・ライブでわかってるロンドンっ子の間で人気に火がついてすぐにストーンズはSWINGING LONDONの中心的なバンドにのしあがるが、まだレコードデビューはしばらく後のことだった。

聞いた話(年表には書かれているが、)では、1963年4月14日に多忙なビートルズがロンドンに来ていて、昼間にテレビ収録が終わり、久々に夜だけ自由時間を持てた。ビートルズ4人はうわさになっていたローリングストーンズを見るためにリッチモンドまでいって(わざわざ!)、彼らの演奏を聴いて気に入った。ジョージ・ハリスンは自分たちが前にオーディションに落ちたというのに、デッカ・レコードにストーンズを推薦したということだ。
これがビートルズとストーンズの初めての出会いだった。そしてその時同行していたのであろう、ビートルズの下でアシスタントで働いていた、アンドリュー・オールダムはストーンズと契約を取り付けてビートルズを退職して彼らのマネージャーになった。ジョージの進言やリンゴの絶賛コメントもあり、アンドリューの手腕もあり、2か月後にはストーンズはデビューシングル、チャック・ベリーのカバー「カム・オン」を1963年6月7日にデッカからリリースした。

また聞いた話では、このころ(だと思う)ストーンズの面々がビートルズに招待されてコンサートに遊びに行って、終わって楽屋から出たら、ファンの群衆からビートルズと間違えられて悲鳴が飛び交うすごい騒ぎになり、ブライアン・ジョーンズはその時のいい気分が忘れられずスター願望が一段と高まったということだ。「あんときからブライアンはおかしくなったのさ」というキース・リチャードの談があります。

ストーンズはカモンのシングルデビューでバンドとしても弾みがつき、クラブのバンドからツアーバンドに昇格してボー・ディドリー、ホリーズなどとツアーができるようになり、人気もますます高まって、ビートルズと同じ道を歩み始めた。1963年10月、ジョンとポールはそんな彼らのレコーディングに呼ばれて、目の前でささっと一曲作り、その「I WANNA BE YOUR MAN」を第二弾シングル (1963年11月1日) としてプレゼントした。ストーンズはびっくりたまげたが、ミックとキースのオリジナル曲を作曲する大きな刺激と恩恵を受けた。ただビートルズも同じ月にセカンドアルバム「With The Beatles」(Released: 22 November 1963)にリンゴのボーカルで収録して発表した。

このころストーンズはロネッツをゲストに迎えた秋の第二弾ツアーをやっていて、これが縁でこのあとフィル・スペクターを迎えてファーストアルバムのレコーディングがはじまった。
そして年表によると、ミック・キースとブライアンが3人で共同生活したエディス・グローブのアパート(フラット)を引き払いそれぞれがやっと独立して暮らし始めることになった。いま、ローリングストーンズ展ではその彼らが2年近く一緒に暮らしたフラットが居間やベッドルーム、キッチンが忠実に再現されている。ステレオの上にはニューポートのマディ・ウォーターズの聞きかけのレコードがさりげなく置かれていて、そのジャケットの下には、リトル・ウォルター、チャック・ベリー、山盛りの灰皿まで細部までとてもよくできていて、大変興味深いです、もしも見に行ける人はこのコーナーはおすすめです、ぜひご覧ください。

”ビートルズ対ローリング・ストーンズ” 結論から言うとロック史上、最大、最高の好敵手でもあったこの二つのバンド、ストーンズはビートルズに足を向けては寝られないほど世話になっていたのですね。ポールは俺がラリー・ウィリアムスをやつらに勧めたのさ、と言っていたのを、いま思い出した。


(おまけ)

先日、鮎川の記事が夕刊フジに掲載されました。コピーを添付したのでよかったら読んでください。

「僕がギターを弾かんとシーナはがっかりする」シーナ&ザ・ロケッツ・鮎川誠 あふれる“ストーンズ愛”
夕刊フジ 4/11(木) 16:56配信

鮎川誠

 「ロックはタイムレス。ストーンズだって、今の音楽。心のワンジェネレーション。いつでも今が最高」

 黒い革ジャンに身を包み、サングラスをかけ煙草をくゆらせながら、シャイで知られる伝説のギタリストは訥々(とつとつ)と言葉を重ねた。

 昨年、NHKの朝ドラ「半分、青い。」で代表曲「YOU MAY DREAM」が劇中歌として使われ、再び脚光を浴びた「シーナ&ザ・ロケッツ」。今年デビューして41年目を迎える。

 1970年、当時“日本のリバプール”と呼ばれた福岡・博多でブルース・ロックバンド「サンハウス」を結成。後に“めんたいロック”と呼ばれるムーブメントの先駆けとなった。

 やがて妻・シーナと上京。78年にシナロケとしてデビューして以来、常にロック界の第一線で活躍してきた。

 しかし2015年、長年連れ添った妻をがんで亡くす。享年61。

 「病気と闘いながら、シーナは最後までステージに立ち続けた。バンドを解散することも考えましたが、僕がギターを弾かんとメソメソしてたら、シーナはきっとがっかりする」

 その言葉通り、17年には69(ロック)歳を記念して全国47都道府県ツアーを行い、自らギターを弾き、歌った。

 そんな鮎川を支えているのが、ロック界の偉大な先達、ザ・ローリング・ストーンズの存在だという。

 「中学の頃、みんなビートルズ、ビートルズ言うとった。自分だけのお気に入りがほしくてFEN(米軍極東放送)から流れるストーンズの『ノット・フェイド・アウェイ』を聞いた。リズムが大胆で激しく、暴れ太鼓みたいでぶっ飛んだ」

 街中のレコード屋を回って友達3人でお金を出し合いファーストアルバムを手に入れる。今でもA面「テル・ミー」、B面「かわいいキャロル」のドーナツ盤をよくかけていると言う。

 高校の修学旅行をキャンセルして、その積立金で友達からギターを譲り受け弾くようになる。そしてビートルズが来日した1966年の夏。生まれ故郷である福岡県久留米市の「サマービート66 エレキ祭り」で初めてステージに立った。

 「『ロックン・ロール・ミュージック』を始め、ビートルズが来日公演で演奏した曲に加えて、ストーンズの『一人ぼっちの世界』を演奏したことが自慢やった。ストーンズは自ら“ブルースの伝道師”を名乗る通り、多くの黒人音楽をリスペクトしている。ロックン・ロールのドアであり、ブルースの入り口なんよ」

 それだけに、90年の初来日は忘れられない。

 「88年にアルバム『ハッピー・ハウス』をニューヨークでレコーディングした際、参加してくれたホーン・セクションがストーンズのツアーに同行していて、その縁でバックステージにも遊びに行ったとよ」

 この時の目撃談は今や伝説となっている。音楽プロデューサーの細野晴臣と忌野清志郎が恐る恐る入っていくと、何とギタリスト、キース・リチャーズの膝の上にシーナが乗っていたというのだ。

 もしストーンズと一緒に演奏するとしたら?

 「やっぱり『サティスファクション』かな。ジャガー/リチャーズによる最初の大ヒット曲。シナロケも、最初からずっとやってきた」

 あふれる“ストーンズ愛”。開催中の「Exhibitionism ザ・ローリング・ストーンズ展」(5月6日まで)のアンバサダーも務めている。これまで世界6カ所で行われ、100万人以上を動員したビッグイベントだ。

 「生きとるバンドでこんなことするのはストーンズくらい(笑)。ロックで皆さんに会えるのが最高!」

 もうすぐ71歳。ロックな魂はまだまだ誰にも負けない。(ペン・島右近 カメラ・宮川浩和)

 ■鮎川誠(あゆかわ・まこと) 1948年5月2日、福岡県久留米市生まれ。70歳。九州大卒。妻でボーカルのシーナとロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」を結成し、78年に「涙のハイウェイ」でメジャーデビュー。翌79年に発売した「YOU MAY DREAM」が大ヒット。2015年2月にシーナを亡くした後も、精力的にバンド活動を行う。4月28、29日、5月2日と新元号移行をまたぐ「鮎川誠生誕71年祭」を京都、名古屋、東京で開催予定。鮎川の生誕日に合わせ、東京・日比谷野外大音楽堂(14年9月)で行った「35周年記念ライブ」をDVDとして初リリースする。


THE INVITATION

4/21(日) 鮎川誠ロック塾第15章

ROCKJUKE#15 「初期のストーンズとビートルズ (London Vs. Liverpool)」

急告!
ジューク音楽塾 特別講義、鮎川誠ロック塾第15章参加者募集の予告。(Twitterなどの拡散希望)
(下記の中段以降の募集方法をよく読んでください。「期日前応募(フライング)」なし)

 鮎川誠ロック塾第15章、間を置かず開催。鮎川先生、乗っている。今回のテーマは「初期のストーンズとビートルズ (London Vs. Liverpool)」です。鮎川誠のあまり具体的に語られない初期のインスピレイションがザ・ビートルズです。前回明らかにされたローリング・ストーンズからの影響に続き、その同時代のビートルズからの感化は何か。両者の、先人や同時代の音楽に対するリスペクトと返答。それぞれのカヴァーの仕方、さらにそこから発展したオリジナル曲の魅力に迫ります。
 副題は「ロンドン対リヴァプール」とあるが特に地域性を多角的に分析するのではない。だがローリング・ストーンズの『第一集』のレコードの帯が「これがリヴァプール・サウンドの決定盤!!」であった。でもその間違いは今では明白だが、鮎川先生にその違いを解説してもらう。興味津々で、楽しめて、ためになる鮎川塾、今回も盛況必至。
 まだ参加したことのない人、是非参加を。いつからでも入れて楽しめる、親しみやすく興味深い鮎川誠の世界に貴方を誘(いざな)いたい !

場所 ジューク・ジョイント(福岡、舞鶴)Tel. 092-762-5596
料金 2500円(今回、年令割引無し、30才未満1ドリンク、さらにサーヴィス)1ドリンク付き。
   ちなみに、遅刻の人も懇親会のみ参加の人も同じ料金です。
日時 2019年4月21日(日)18:30開場、19:00 講義開始 途中10分休憩、21:10終了予定。
放課後 DJパーティー&懇親会(いつも楽しい !!)懇親会は軽食やおつまみを用意しますが、他にも食べるものの差し入れをお願いします。

   参加希望の方は以下の要領で応募してください。
4月14日(日)午後7時から応募を開始し、定員に達した時点で募集は終了。(その時は松本康のフェイスブック上か、ジューク・ジョイントのホーム・ページ上で告知)年令制限無し。定員30名。
毎日夜12時で集計し、確定した人から、定数を埋めて行きます。確定した人には電話かFB上のメールで返事します。満席になった時は、その日に申し込んだ人の間だけで、抽選で決定します。
申し込み方法 
1)FB上の松本康へのメッセージ(メール)で。24時間受付。
2)営業時間内(13〜19時)のジューク・レコード (092-781-4369)への電話かファックス(電話番号明記)
 予約が確定した参加者は当日並んでもらい、その先着順で受付をし、好きな席に着きます。10代、20代の人は、年令を証明できるものを用意してください。』

鮎川誠ロック塾 INDEXページ



Rolling Stones JAPAN ReLease

release	number	album title
196412	MH-190	第一集
196505	MH-197	第二集
196509	MH-208	第三集
196512	SLH-36	第四集
196607	SLH-51	第五集〜アフター・マス
196608	SLH-53	ゴールデン・アルバム
196612	SLC-166	ビッグ・ヒッツ
196702	SLC-170	実況録音
196704	SLC-173	ビトゥイーン・ザ・バトンズ〜ボタンの間に〜
196709	SLC-184	フラワー
196712	SLC-184	あなたが選んだローリング・ストーンズ・ゴールデン・アルバム
196804	SLC-192	サタニック・マジェスティーズ
196811	SLC-217	決定盤!
196902	PS-539	ベガーズ・バンケット
196912	SLC-288	スルー・ザ・パスト・ダークリー
197002	SLC-300	レット・イット・ブリード
197012	SLC-333	ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト

SINGLE
release	number	side-A	side-B
196403	HIT-323	彼氏になりたい	ストーンド
196405	HIT-346	ノット・フェイド・アウェイ	リトル・バイ・リトル
196408	HIT-386	イッツ・オール・オーヴァー・ナウ	グッド・タイムズ・バッド・タイムズ
196409	HIT-388	テル・ミー	かわいいキャロル
196412	HIT-427	タイム・イズ・オン・マイ・サイド	コングラチュレーションズ
196502	HIT-440	リトル・レッド・ルースター	オフ・ザ・フック
196503	HIT-462	ハート・オブ・ストーン	ホワット・ア・シェイム
196505	HIT-485	ラスト・タイム	プレイ・ウィズ・ファイア
196508	HIT-511	サティスファクション	ウェスト・コーストの宣伝屋
196511	HIT-568	一人ぼっちの世界	アイム・フリー
196602	TOP-1013	アズ・ティアーズ・ゴー・バイ	ゴッタ・ゲット・アウェイ
196602	TOP-1014	カム・オン	アイ・ウォント・トゥ・ビー・ラヴド
196604	TOP-1020	19回目の神経衰弱	クモとハエ
196607	TOP-1053	黒くぬれ	ロング、ロング・ホワイル
196609	TOP-1069	マザーズ・リトル・ヘルパー	レディ・ジェーン
196611	TOP-1091	マザー・イン・ザ・シャドウ	フーズ・ドライヴィング・ユア・プレーン
196703	TOP-1124	夜をぶっとばせ	ルビー・チューズデイ
196708	TOP-1178	イエスタディズ・ペイパー	コネクション
196710	TOP-1200	この世界に愛を	ダンデライオン(たんぽぽ)
196802	TOP-1240	シーズ・ア・レインボウ	2000光年のかなたに
196802	TOP-1242	テル・ミー	タイム・イズ・オン・マイ・サイド
196803	TOP-1243	アンダー・マイ・サム	恋をしようよ
196804	TOP-1262	ランターン	イン・アナザー・ランド
196807	TOP-1282	ジャンピン・ジャック・フラッシュ	チャイルド・オブ・ザ・ムーン
196810	TOP-1320	ストリート・ファイティング・マン	ノー・エクスペクテーションズ
196902	TOP-1357	悪魔を憐れむ歌	放蕩むすこ
196908	TOP-1422	ホンキー・トンク・ウィメン	無情の世界
197002	TOP-1460	レット・イット・ブリード	ユー・ガット・ザ・シルヴァー

THE ROLLNG STONES - DATE BY DATE


1962-1964
1960年、シドカップ・アートカレッジの学生であったリチャーズとロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生であったミックがダートフォード駅で再会する。ミックが持っていたチャック・ベリーとマディ・ウォーターズのレコードで、お互いの興味が明らかになって友情が復活し、ディック・テイラー(後にプリティ・シングス(英語版)のメンバーとなる)を加えてのバンド「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」結成につながる。

1962; 3人はアーリング・ジャズクラブでアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターを目の当たりにして衝撃を受ける。

1962年7月12日、バンド名はマーキー・クラブ(英語版)そのままに「ザ・ローリン・ストーンズ The Rollin' Stones」として最初のギグを行った[17]。ラインナップはミック、キース、ブライアン、ピアノにイアン、ベースにディック、ドラマーはミック・エイヴォリー(後にキンクスに加入)であった。

ビル・ワイマンは1962年12月に加入し、チャーリー・ワッツは翌月の1963年1月に説得されて加入、 バンドのリズム体が確定した。

1963

17.01.63 London Marquee Jazz Club No tape extant Bill Wyman (bass) Charlie Watts (drums)
24.01.63 London Marquee Jazz Club No tape extant Bill Wyman (bass) Charlie Watts (drums)
25.01.63 Sutton Red Lion Pub No tape extant (Personnel constant from this 24.01.63 onwards)

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630314A  14th March: London, Harringay Jazz Club, Manor House Pub
630317A  17th March: London: Ken Colyer Jazz Club, Studio 51
630317B  17th March: Richmond, Station Hotel
630320A  20th March: Sutton, Red Lion Club
630322A  22nd March: Windsor, Ricky Tick Club, Star And Garter Pub
630324A  24th March: London, Ken Colyer Jazz Club, Studio 51
630324B  24th March: Richmond, Station Hotel
630329A  29th March: Windsor, Ricky Tick Club, Star And Garter Pub
630330A  30th March: Guildford, Wooden Bridge Hotel
630331A  31st March: London, Ken Colyer Jazz Club, Studio 51
630331B  31st March: Richmond, Station Hotel
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19630414 It was 56 years ago today (April 14th, 1963) that The Beatles and The Rolling Stones first met. The Beatles, who were new on the scene in London, had heard about the group through word of mouth, and were in the audience at the Stones’ show in Richmond at the Crawdaddy Club at the Station Hotel. Shortly thereafter, George Harrison personally recommended that Decca Records
Apr 28, '63   Andrew Loog Oldharn and Eric Easton see the Rolling Stones at
Richmond and sign a management deal the next day.

May, ' 63     Rolling Stones sign with Decca Records.

May 10, ' 63  First official recording session at Olympic Studios. Andrew
Oldham produced.  Tracks include "Come On," and "I Wanna Be Loved."

Jun 7, '63   "Come On"'I Wanna Be Loved" released and the Stones make their TV
debut on hank Yow Lucky Stars.

デビューシングル、チャック・ベリーのカバーである「カム・オン」は1963年6月7日にリリースされた。
ストーンズは同曲をライブで演奏するのを拒否し[42]、デッカは宣伝の広告看板を1枚だけ買い上げた。
オールダムの指示でファンクラブの会員がシングルを購入し[43]、「カム・オン」はイギリスのシングルチャートで21位に上昇した[44]。
シングルがチャートインしたことでバンドはロンドンの外で演奏する機会が与えられ、
7月13日にミドルズブラのアウトルック・クラブでホリーズと共演することとなる[45]。

Sep 29, '63  First English tour with Everly Brothers and Bo Diddley opens at
the New Victoria. London, with 30 dates concluding on Nov 3.

Nov l, '63  "I Wanna Be Your Man"'Stoned" released.
このツアーの間にストーンズはセカンドシングル、「彼氏になりたい」を録音した。
この曲はレノン・マッカートニーによるもので、イギリスで12位を達成した。

Jan 6, ' 64  The Rolling Stones start tour, topping the bill for the first
time, with the Ronettes.

Feb 21, '64  Release "Not Fade Away"/"Little By Little." 
3枚目のシングル、バディ・ホリーの「ノット・フェイド・アウェイ」は、1964年2月にリリースされ、3位を記録した。 

Apr i 64     Release their first LP The .Rolling Stones. 
ファーストアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』(アメリカでは『イングランズ・ニューエスト・ヒットメーカーズ』)
の収録曲はカバーが大半で、ジャガー・リチャーズのオリジナルは「テル・ミー」のみであった。
また、2曲のクレジットは「ナンカー・フェルジ」と記載された。これはバンド全員のペンネームであった。

Jun 3 -      First American tour. On June 16, they fly to Magdalen College,
Oxford,

Jun 20, '64  to honor an agreement booked the previous year and then
immediately resune their tour.

Jun 26, '64   Release "It's All Over Now"/"Good Times, Bad Times."

Jul 8 '64    "It's All Over Now" goes to Number One.

Sep 5 '64     British tour with Charlie and Inez Foxx until Oct 11.

Oct 20,'64    The Olympia is the band's first show in Paris and hundreds of stampeding fans
              break windows at the theater after the show. Police are called in, there are riots in
              the streets, resulting in lS0 people arrested.

Oct 23. ' 64  Stones fly to the US for 12 dates, including the Academy of Music and the d
              Sullivan Show.

Nov 13, '64   Release "Little Red Rooster"/"Off The Hook."

Dec 21, '64   Publication of pocket book Ode to a High Flying Bird by Charlie
Watts It's the story of legendary sax player Charlie "Bird" Parker and was
written in 1961.

Jan ' 65      Release of The Rolling Stones No. 2 album.

Feb 26, '65   Release of "The Last Time"/"Play With Fire."

Mar 5 -       Major European tour with the Hollies, included stops in England,
Apr 18, '65   Scandinavia, and  France.


Apr 22, '65   Fly to Montreal for Canadian and American tour.

Aug 20, '65   Release "Satisfaction"/"Spider And The Fly."

Aug 24, '65   The Rolling Stones meet with Allen Klein for the first time.

Aug 28, '65 Andrew Oldham and Allen Klein to co-manage the Rolling Stones. The
              band sign a new five-year contract with Decca.

Oct 17, ' 65  Release LP Out Of Ou Heads.

Oct 22, '65   Release "Get Off My Cloud"'The Singer Not The Song."

Oct 29, '65   Again. fly to Montreal for the fourth Canadian/American tour.

Feb 4, '66    Release "19th Nervous Breakdown"/"As Tears Go By."

Mar 26, '66   European tour begins.

Apr ' 66      Release A ftennath LP.

May 13, '66   Release "Paint lt Black"'Long While."

Jun 23, '66 Rolling Stones arrive in New York for their fifth
            American Canadian tour, which ends in Hawaii.

Sep 10 ' 66 The Rolling Stones appear on Ed Sullivan Show in New York and Ready Steady
Go in England.

Sep 23, '66 Release "Have You Seen Your Mother Baby"'Who's Driving Your Plane."

Sep 23 -    Opening of British tour at London ' s Albert Hall with reception
            afterwards. Tour Oct 9, '66 with Ike & Tina Turner and the
            Yardbirds.

Nov ' 66    Release of Big Hits (High Tide And Green Grass) LP .

Jan 20, '67 Release of Between The Buttons album in America.

Jan 28, '67 Release of "Let ' s Spend The Night Together"/"Ruby Tuesday."

Mar 25 -    Opening of European tour in Oerbo, Sweden. The Stones make their
            first Apr 13, '67 visit behind the Iron Curtain when they play
            Warsaw, Poland.

Aug 18, ' 7 Release of "We Love You"/"Dandelion" -- described as a thank-you
            to fans who were loyal during their various court appearances.

Sep ' 67   The Rolling Stones announce that they have broken away from Andrew
           Oldham and will in the future produce their own records.

Dec ' 67   Release Their Satanic Majesties Request LP.

May 25, '68 Release "Jumpin' Jack Flash"/"Child Of The Moon."

Sep 1, '68  Mick begins work on his first film role in Nic Roeg's Prformance.

Dec 5, '68  The Rolling Stones hold a "beggars" banquet at Elizabethan rooms in
            London to mark the release of their LP, Beggar's Barlquet. Lord
            Harlech deputizes for Keith who is ill. They surprise guests with
            a custard pie throwing party.

Dec 12, '68 The Rolling Stones' Rocl 'N'Roll Cicus is filmed at Wembley
            studios for television. Friends include John Lennon and Yoko Ono.
            Beggar's Banquetis released.

Jun 8, '69 Brian Jones leaves the Rolling Stones. Former Yardbirds guitarist
           Mick Taylor replaces him.  Chronology 4

Jul 3 '69  Brian Jones dies at his home near Hartfield (Cotchford Farms.)

Jul 5, '69 Rolling Stones perform a free concert in London ' s Hyde Park. Mick
           Jagger reads a a poem by Shelley as a dedication to Brian and
           releases thousands of butterflies.

Jul 6, ' 69 Mick Jagger leaves for Australia to film Ned Kelly.

Jul 11, '69 Release "Honky Tonk Women"/"You Can't Always Get What You Want."

Sep '69    Release of Through The Past Darkly album.

Oct 17, '69 The Rolling Stones arrive in Los Angeles to set up their sixth
            American tour.

Nov 7, '69 Stones begin their U.S. tour.

Jan '70   Release of Let It Bleed LP.

Jul 28, '70 Premiere of Ned Kelly in Glenrowan, Melbourne, Australia (near where the real
Ned Kelly used to live.)

Jul 30, '70 The Rolling Stones inform Allen Klein that neither he nor ABKCO
            Industries Inc., nor any other company have any authority to
            negotiate contracts on their behalf in the future.
			
			
			KONTINE TO DATE-BY DATE

Jul , '94 Stones play an unannounced warm-up gig at Toronto's l,100-capacity RPM Club. The charge is the regular five dollar cover which is donated to the Covenant Hospice. The band play 16 songs, including "Brown Sugar," "Street Fighting Man,""Tumbling Dice," and "Rocks Off," plus new songs such as "Sparks Will Fly" and "I Go Wild." Dan Akroyd is one of the guests that attend. It is bassist Darryl Jones' live debut with the band. Aug I, ' 94 Stones launch their Voodoo Lounge tour at RFK Stadium in Washington, D .C . (1976 through 1994 written and researched by Bill German of the Beggars Banquet newsletter.)


Date from www.stones.com ; no longer exit
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The BEATLES in 1963era

It was 55 years ago today (April 14th, 1963) that The Beatles and The Rolling Stones first met. The Beatles, who were new on the scene in London, had heard about the group through word of mouth, and were in the audience at the Stones’ show in Richmond at the Crawdaddy Club at the Station Hotel. Shortly thereafter, George Harrison personally recommended that Decca Records ? the same label that had passed on the Beatles ? sign a deal with the still-unknown Stones.

THE BEATLES デビュー 1963年10月30日,スウェーデンのテレビ番組「DROP IN」で 1962年10月5日にイギリスにてデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を発売"[注釈 41]。ミュージック・ウィーク誌(英語版)のトップ50では1962年12月27日付で最高位17位を記録[29]。1963年1月11日にリリースされた英国での2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がメロディー・メーカー誌1963年3月2日付けのシングル・トップ50で1位[30](ミュージック・ウィーク誌は最高位2位[注釈 42])を獲得。

この曲のヒットにより英国で一躍人気グループになり、4月11日にリリースされた3曲目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」ではミュージック・ウィーク誌で1963年5月2日付けから6月19日付けまで7週連続1位となる[31]。このフロム・ミー・トゥ・ユー以降は「シー・ラヴズ・ユー(8月23日発売/1位6週)」、「抱きしめたい(11月29日発売/1位5週)」などとシングルが連続して1位を獲得した[32]。

アルバムは1963年4月26日に英国でのデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を発売し、5月11日付けでチャート第1位となり、その後、連続30週間、第1位が続いた[注釈 8]。連続第1位が続いている中、1963年11月22日にセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』を発売し、12月7日に『プリーズ・プリーズ・ミー』を押しのけて第1位を獲得。1964年5月まで21週間連続1位になる[注釈 8]。ビートルズはこの2枚のアルバムで51週間、ほぼ1年に渡りイギリスのアルバムチャートの第1位を占有していた。

BEATLESCOGRAPHY オリジナルアルバム


発売日 	邦題 	原題 	全英チャート最高位 	全英1位獲得回数
1963年3月22日	プリーズ・プリーズ・ミー 	Please Please Me 	1 30
1963年11月22日	ウィズ・ザ・ビートルズ 	With The Beatles 	1 21
1964年7月10日 	ハード・デイズ・ナイト 	A Hard Day's Night 	1 21
1964年12月4日	ビートルズ・フォー・セール 	Beatles For Sale 1 11
1965年8月6日	ヘルプ! 	Help! 	1 9
1965年12月3日	ラバー・ソウル 	Rubber Soul 	1 8
1966年8月5日	リボルバー 	Revolver 	1 7
1967年6月1日	サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
 	Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 	1  27
1968年11月22日	ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム) 	The Beatles 	1 8
1969年1月13日	イエロー・サブマリン 	Yellow Submarine 	3 0
1969年9月26日	アビイ・ロード 	Abbey Road 	1 17
1970年5月8日	レット・イット・ビー 	Let It Be 	1 3

    「マジカル・ミステリー・ツアー」は当該項目を参照。

オリジナルシングル
発売日 	邦題 	原題 	全英チャート最高位 	全英1位獲得回数
1962年10月5日	A. ラヴ・ミー・ドゥ B. P.S.アイ・ラヴ・ユー 	A. Love Me Do B. P.S. I Love You 	17 0
1963年1月11日	A. プリーズ・プリーズ・ミー B. アスク・ミー・ホワイ 	A. Please Please Me B. Ask Me Why 2 0
1963年4月12日	A. フロム・ミー・トゥ・ユー B. サンキュー・ガール 	A. From Me to You  B. Thank You Girl 	1 6
1963年8月23日	A. シー・ラヴズ・ユー B. アイル・ゲット・ユー 	A. She Loves You B. I'll Get You 	1 7
1963年11月29日	A. 抱きしめたい B. ジス・ボーイ 	A. I Want To Hold Your Hand B. This Boy 	1 5
1964年3月20日	A. キャント・バイ・ミー・ラヴ B. ユー・キャント・ドゥ・ザット 	A. Can't Buy Me Love B. You Can't Do That 1 3
1964年7月10日	A. ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! B. 今日の誓い 	A. A Hard Day's Night B. Things We Said Today 	1 3
1964年11月27日	A. アイ・フィール・ファイン B. シーズ・ア・ウーマン 	A. I Feel Fine B. She's a Woman 	1 5
1965年4月9日	A. 涙の乗車券 B. イエス・イット・イズ 	A. Ticket to Ride B. Yes It Is 1 3
1965年7月23日	A. ヘルプ! B. アイム・ダウン 	A. Help! B. I'm Down 	1 3
1965年12月3日	A. デイ・トリッパー A. 恋を抱きしめよう (両A面) 	A. Day Tripper A. We Can Work It Out 1 5
1966年6月10日	A. ペイパーバック・ライター B. レイン 	A. Paperback Writer B. Rain 	1 2
1966年8月5日	A. イエロー・サブマリン A. エリナー・リグビー (両A面) 	A. Yellow Submarine A. Eleanor Rigby 1 4
1967年2月17日 	A. ストロベリー・フィールズ・フォーエバー A. ペニー・レイン (両A面) 	A. Strawberry Fields Forever A. Penny Lane 2 0
1967年7月7日	A. 愛こそはすべて B. ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン 	A. All You Need Is Love B. Baby, You're a Rich Man 	1 3
1967年11月24日	A. ハロー・グッドバイ B. アイ・アム・ザ・ウォルラス 	A. Hello, Goodbye B. I Am the Walrus 1 7
1968年3月15日	A. レディ・マドンナ B. ジ・インナー・ライト 	A. Lady Madonna B. The Inner Light 1 2
1968年8月30日	A. ヘイ・ジュード B. レボリューション 	A. Hey Jude B. Revolution 	1 2
1969年4月11日	A. ゲット・バック B. ドント・レット・ミー・ダウン 	A. Get Back B. Don't Let Me Down 	1 6
1969年5月30日	A. ジョンとヨーコのバラード B. オールド・ブラウン・シュー 	A. The Ballad of John and Yoko B. Old Brown Shoe 	1 3
1969年10月31日	A. サムシング A. カム・トゥゲザー (両A面) 	A. Something A. Come Together 4 0
1970年3月6日	A. レット・イット・ビー B. ユー・ノウ・マイ・ネーム 	A. Let It Be B. You Know My Name 	2 



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