EDDIE TAYLOR/エディ・テイラー
……77,78年頃、パンクなバンドがニューヨークやロンドンで出てきて、ぼくたち(サンハウス)もそれの影響うけてた。ルー・リードやらデビッド・ボウイやらが新しいアルバム出したらそういうニュアンスも取り入れる。もちろんストーンズのニュアンスもそうやけど、ブライアン・フェリーが出てきたら、そういうニュアンスもいいやんとかサンハウスでどんどんとりこんでいきよったけれども、経済的にちょっと行きづまってきたりして、最初にギタリストがやめた時に、ギターが1本なんですね。サンハウスの音楽の激しさっちゅうか、カッコよさでもあろうけど、ぼくのスタイルを180度変えんと音のボリューム、圧力を維持できんわけ。自然発生的にパンクスタイルに変えざるをえんやった。ちょうどその頃のパンクの連中の音っちゅうのでは、ラモーンズがもう胸がすくぐらい気持がよかった。装飾のオブリガードっちゅうリードギターが歌と歌の合間にあいの手を入れていく、ぼくはそういうパートをリードギターでやってきたけれども、ラモーンズが、そういうコセコセしたしたことお笑いだぜ、そう、まあ言ってるみたいに、リズムギターだけでガンガン行くっちゅうのがホントにすごく勇気づけられた。4人で若いガキ共が、ギターもろくに、こう、コードだけで弾きよるけれども、すげえハイ・エナジーを出しよるっちゅうんで、ギターもヘビーデューティーに耐えられるスタイルに変換しとった時やった。 そん時にエディ・テイラーの演奏観て、また別個の美しいもん見せられた気がして……。それと同時にブルースへの思い入れ、ジミヘンも、ミック・ジャガーもみんな夢中になったブルースへの頭でっかちの思い入れをふくらましとった時に、クリエイティブでも何でもない、遊びの要素もちらっともない。自分がやれることはこれ、っちゅうて、それもちゃんと時間いくらで自分の仕事して、生活の糧としてやってきたブルースマンが、客をわかせるのも目的やない、自分の音楽をベストコンディションまでもっていって、弾いて、淡々とひっこんだっちゅう……。ぼくたちはずっとスーパースターを恋こがれて見てきてる。それと全く違うリアルそのもの、毎日そのまま、あのまんまエディさんはずっと生きてきた、で、そのままそこにおるっちゅう、その世界が見れたことが、ぼくにとっては何か、のちの自信になったみたいな気がする。芯にあるもんは、ミュージシャンを選んだんやったらば、音楽の生活者としての人間がそこに真ん中にドンとおるみたいな、そういうのがないと全部がかっこうつかんみたいな……。 で、サインを、ぼくのギター(GRECO SG MODEL)にやってもらおうと思って、楽屋に行けるチャンスもできて、(訪ねて)あのサインを下さいっち話したら、ちょっと待って下さいっちゅうて。エディさんは何をするのかなと思って見てたら、演奏し終ったギターを一生懸命ふきだして、汗もかかんで軽くやっとるんだけれども、なおかつふいて、布をギターケースに敷いて、でギターを我が子をベッドに寝かせるみたいにやさしい手つきで、こう、ケースに入れて、で、布でくるんで、ふたをして……。そん時に、ぼくはずいぶん乱暴なギターの持ってきかたしとったのが恥入ってしまったんです。ぼくはケースにも入れんで、裸でこうやって(ネックを持って)持ってきて、ヘビーデューティちって自分ではいいよるけど、ほんとに乱暴な傷だらけで。あん時ね、今思えばイバればよかったのね、これ、俺が必死でやっとる自分のスタイルやったんやけども、あんまり神々しいもん見たみたいな感じで、すごい恐れいって恥入って、何か失礼にあたるみたいな気がして、このギターにサインなんか頼めんって思って。……全々はなやかでないけれども、何も話題も提供せんで、もう亡くなってしまったけれども、ぼくはレコード(「READY FOR EDDIE」 & 「FEEL SO BAD」)にサインお願いして宝もんにして2枚持ってる。どちらもお気に入りのやつ。それにサインしてもらったのが、初めて会った外国のミュージシャンですね。 Makoto Ayukawa@(聞き手&構成/岡本おさみ、吉田妃呂)(補足) 文中、「78年の初冬」というのは、鮎川の記憶違いで、公演は1977年12月19日(月)に福岡、 大博多ホール。そもそもFenton Robinsonが来るはずだったのですが、不幸にもFentonは入国拒否にあい、急遽代理でEddie Taylorになったとのこと。(上田恭一郎氏のFACEBOOKより) (FROM ROKKETCOLLECTION)
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Eddie Taylor (January 29, 1923 -- December 25, 1985)[1] was an American electric blues guitarist and singer.[2]
Biography [edit]Born Edward Taylor in Benoit, Mississippi, United States, as a boy Taylor taught himself to play the guitar. He spent his early years playing at venues around Leland, Mississippi, where he taught his friend Jimmy Reed to play guitar. With a guitar style deeply rooted in the Mississippi Delta tradition, in 1949 Taylor moved to Chicago, Illinois. While Taylor never achieved the stardom of some of his compatriots in the Chicago blues scene, he nevertheless was an integral part of that era. He is especially noted as a main accompanist for Jimmy Reed, as well as working with John Lee Hooker, Big Walter Horton, Sam Lay and others.[3] Taylor's own records "Big Town Playboy" and "Bad Boy" on Vee Jay Records became local hits in the 1950s. Taylor's son Eddie Taylor Jr. is a blues guitarist in Chicago, his stepson Larry Taylor is a blues drummer and vocalist, and his daughter Demetria is a blues vocalist in Chicago. Taylor's wife Vera was the niece of bluesmen Eddie "Guitar" Burns and Jimmy Burns. Taylor died on Christmas Day in 1985 in Chicago,[4] at age 62, and was interred in an unmarked grave in the Restvale Cemetery in Alsip, Illinois. He was posthumously inducted into the Blues Hall of Fame in 1987. Discography [edit]
References [edit]
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