AM'S INTERVIEW 'BOUT BLUES BROTHERS


 BLUES BROTHERS/ブルース・ブラザース


Although most famous for the movie of the same name, the Blues Brothers originally made regular appearances on Saturday Night Live in the mid to late nineteen-seventies. John Belushi and Dan Aykroyd play Jake and Elwood Blues,

The movie The Blues Brothers, which cost around US$38million to make, was released in 1980 and while initially it didn't do well at the Box Office, it has developed a world-wide cult following and is still regularly screened in cinemas around the world.

 冬ですよ、寒い日。下北(下北沢)のストンプっちゅう店によく行ってた。行けばウエストロード・ブルースバンドの連中がおったり、(当時)その店をやってたのは正井くん(正井芳幸・ストンプ・コーポレイション)ちゅう友達で、ストンプはぼくの家の近所だし、よく行ってた。その正井くんが、ブルース・ブラザースが映画「ブルース・ブラザース」のキャンペーンで来日しとるけれども、あの人達がブルースバンドが出てる店はないかっちゅうんで、“のろ”(吉祥寺のライブ・ハウス)でちょうどホトケ達がブルースバンドでパーティやっとるんで、それを教えといたから、ひょっとしたら来るかもしらんけん、おもしろいよっちゅうことを聞いとった……。

 その日、わりと気にもとめんやったけれども、あ、そういえばっちゅうぐらいの軽い気持ちやった。ぼくら出不精なもんで、やっぱし電車に乗らんといかんし、寒いし、期待なんかなしに、ブルース・ブラザースがまさか来るとも思わずに、ホトケと軽い約束もしとったし、シーナと2人で行った。……あれは子供達がまだ学校へ行く前やな……。(ホトケ達は)もうウエストロードじゃなくて、ブルー・ヘブンちゅう名前で活動してた頃。

吉祥寺に着いたら、8時か8時半とかいう時間で、もう終わりの頃やったと思うけど、“のろ”にシーナと2人で入ったら、(満員の客の背中ごしに見ると)外人が2人、なにかやたらハッスルして歌ってた。立川基地か、あそこら辺のノリノリの外人が、とび入りしてやりおるっち、そういうイメージに見えたのね。ブルース・ブラザースっちゅうことは、そん時ホントに忘れとった。ああ、外人が酔っぱらってなだれこんどるんだ、ぐらいに。で、しばらく時間かかったんです。彼らがあのジョン・ベルーシとダン・エイクロイドっち思わんで。1曲終わるぐらいまで気がつかんやった。普段着で普段っぽく溶けこんでるし、もう、嬉しそうにやっとるし、アレ?っと思って、あ、そうか、ブルース・ブラザースが来るっちいいよったな。

 ハーモニカで思い出したんですね。片っぽのダン・エイクロイド。一生懸命吹きよるんで、あ、そうだ、そうだ思って。吹き出しそうになったんは、やっぱりあの黒ずくめのスーツにYシャツ着んとブルース・ブラザースって思えんなあと思って。そしたら、「ブルース・ブラザースでした。」とかゆうてホトケが彼ら送り出して、みんな大喜びで、彼らも意気揚々と帰って行った。そしたらホトケとちょうどぼくの眼が合って、「じゃあもう1人友達が今きとるんで」とかゆうて、「鮎川誠」とかゆうてぼくを紹介して、山岸潤二(ギタリスト)がぼくにギター貸してくれて、こんな高いところで(山岸のギターを抱く位置は腰より高い)弾きにくかったけど、何しようかっちゅうて、「Gimmi Some Lovin'」しようちゅうて。「Gimmi Some Lovin'」ちゅうのは、ビートルズ、ストーンズにちょっと遅れてデビューしたスペンサー・デイビスの名曲だけど、ああいう曲を、あの映画でとりあげるっちゅうのは勇気がいることですよ。ブルース・マニアに観られたいんやったら、遠慮する曲ではあるんです。一番最初に刑務所から出てくる時に「あの娘がロバに乗って行っちゃった」ちゅうげなカッコイイ曲。あれは渋すぎてうならせる選曲ですね。

 で、ぼくがギターを弾いとったら、入口のあたりから、ドドドッと誰かが走ってきて、(客の間を分けてステージへ)とびこんできて、また一緒になってブルース・ブラザースの2人が歌いだした。もうノリまくってね。ぼくはトックリ(セーター)着とって汗ブルブルかいとったんで、ステージを下りた時に、外に早く出たかった。“のろ”の階段上がって表に出たら、ジョン・ベルーシがまくしたてるみたいに「今日は気分がよかった」ち言いよるわけ。「もう最高やった」って。日本でブルースやれたんが一番よかったちゅうてから、もう何回も言いよる。「俺はプロモーションで来とるけれども、俺はブルースの使者だ。ほんとはブルース・ミュージックを沢山の人に聴いてもらうために俺は来とる。それがほんとの目的」ちゅうてからまくしたてとる。それがハッタリじゃなくてほんとに芯から言いよるのがすごいよかった。

 あげくの果ては、「オメエは、オメエ見た時にバターフィールド(ポール・バターフィールド)想い出したぜ」っちゅうて言いだした。「自分もシカゴ生まれで、ガキん頃からシカゴのクラブに出入りしよった時に、初めてバターフィールド見た時に、オマエとおんなじそのコートを着て、彼がハーモニカ吹きよった。それとイメージがだぶってしもうた」とか言って。何しよるか?ぼくらシーナ&ロケッツっちゅうバンドやっとるちゅうたら、その名前覚えた、実は明日、記者会見する、そん時に絶対その名前出すからっち。あとでワーナー・パイオニアの人がほんとうにテレビでシーナ&ロケッツって名前言いましたよ、ちゅうて。日本でどんなバンドとセッションやったか、どんなバンドが好きかっていわれた時、ほんとはホトケのブルー・ヘブンと言わんと、ぼくはホトケに顔が立たんのに、日本で最高のバンドがおって、シーナ&ロケッツちゅうのと昨夜一緒にやったみたいに、そこんとこちょっとごちゃごちゃになってたけれどね……。

Makoto Ayukawa@(聞き手&構成/岡本おさみ、吉田妃呂)

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