ALBERT KING/アルバート・キング
ブルース・フェスティバル('89.5.13)では、B・B・キングとアルバート・キングが一緒に来て、ぼくらはアルバート・キングの日のほうに出してもらったけど、ぼくらは演奏終わった時に、アルバート・キングさんに会いに行ったんです。ぼくら演奏終わって汗ブルブルかいとるから、シーナがそうゆうたの覚えてるけれども、こんな時のほうが会えるかもしらん。ステージ衣裳のまんま着替えもせんで行ったら、(アルバート・キングの)バック・ミュージシャンの人達がぼくらのこと気に入ってほめてくれた。ありがとうっち言って、アルバートさんに挨拶できるかなっち聞いたら、ちょっと待ってってキザにいわれて、でOKって呼ばれた。なんかぼくたち王様におめどおりするみたいで、パッと見た時にものすごく大きかった。ずっとジャケット見てた顔とおんなじですごく親しみがもてる、日本人にもおりそうなおじいさんの顔。うちの若松(北九州市)のシーナのおじいさん。最近亡くなってしまったけれども、天ぷら屋やってた河童のじーじーにすごく似てるっちゅうのが最初のイメージで。で、今日ありがとうございました、一緒のステージでプレイできて最高でしたっち。そしたら、じつは朝からここに来てリハーサルやって、くたびれてきつい、こっから(楽屋から)しか聴いとらんで悪かったって意味のことゆうてくれて、で、next
time、また明日一緒にやるんです、伊香保温泉でって。…それから、アルバートさんのステージを横で(袖で)観てた。
いろんな意味で面白かったですね。完璧では決してなかった。悪戦苦闘しながら音を創っていく、そのしぐさが面白い。時にはちっちゃいこと全然気にしないみたいにデカイ音でブーンち弾いて、ワーッち歌いよるかと思うと、今度は、モニターからサックスを出せとかキーボードが小さいとか、大きい声でバックをどなる。するとバックのリーダーがこうやって(手で指示して)、次はこうやって…。後日観たB・B・キングが完璧なパッケージで、指のひとつ(のしぐさ)でリズムが変わっていくのとくらべると、北極と南極ぐらいちがう。キーがA、スロー、とかゆうたらガガガーギーンち始まって、その場で創っていく一匹狼でやってるブルースマンと、B・B・キングの完璧パッケージの伝統黒人ショー、エンターテイメントとはすごい好対照やった。アルバート・キングの気持わかるし、そういうのもすごい好きですね。その場でいい方に行くのも悪い方に行くのもそん時にひらめきとキャリア、それから遊び心とその日の気分で決まっちゃうみたいな…。アルバート・キングの音楽っちゅうのは30年間変わってない、不動の音楽。あの人のギターは喋るみたいなギターなんですね。「俺の女が…」ちゆうたら「おおいい女や、けどどうしたん?」「実はね…」ち、また言う。「おお、そうかそうか」ちゅうて、全然会話みたいに歌とギターがピシャリ合う。そういう意味では様式にはまっとる…。だから動かんデカイもんがあるから、いきあたりばったりのバンドでも全然ビクともせんわけ。 ……で、(アルバートさんのステージを横で観ていると)野外音楽堂って(東京の管理下にあり)8時すぎに終わらないかん。アンコールなしやったんですね。そしたらアルバートさんが何か耳打ちして、スタッフが楽屋裏を走り出した。これはひょっとしてアンコール一緒にやれるんだっち。そういう気持で観よったんやけど、「最後に」とかアルバートさんが言って、何というたかな。「All the band」ち聴こえたから、おお、全部呼びよるな思って観とったら、後ろのバンマスが小声で「ボ・ガンボ」(ボ・カンボス)とかいうて、(アルバートさんがそれを聴いて)「ボ・ガンボー!」(笑)ちゆうた。で、アルバートさんが「もうひとつは?」ち言ったら、お客が「シーナ! シーナ!」ちゅうて、それを聴いてアルバートさんが「チーナ!」(笑)「チーナ&ロケッツ!」ってゆうてくれて、ぼくらもワーッと出て抱きついた。そしたらいきなり、ワン・ツウ・スリー、速いやつをやり出した。 それはおきまりのアルバート・キングのブルースで、ぼくもそんなの20年近く聴いてきた「ナイト・ストンプ」ちゅう名前になったり、さまざま、その時々で名前つける、アルバートのブギ。そしてシーナに「Sing Sing」ちゅうて、なんでもいいから歌え言いよるわけ。で、(アルバム)「#1」に入ってる「ブルースの気分」、あれがいいねってシーナとパパッと打ち合わせて、シーナがパーッとマイクとって「街を歩けば…」って歌い出したら、ロケッツがやるのと違って、歌の合間にアルバート・キングが(ギターで)キクーン、ツタッターンって、入ってくる。ほんと鳥肌がたって、泣きそうなぐらい嬉しかった。で、シーナが1番歌ってまだマイクを離したくなくって、もう1番ね、ってアルバート・キングにゆうたら、うんうんって。あとで彼女、アルバートさんが、うんうんちゆうたところが、お父さんみたいで嬉しかったって言いよった。 (伊香保、清滝城・春の陣のコンサートの時は)楽屋でロケット型のギター、フライングVにサインをしてもらいたくて…。フライングVっちゅうのはアルバート・キングの専売特許みたいなもんで、もう何10年もそのスタイル。ただ左ギッチョですが、ホント代名詞。アルバート・キングとフライングV。そんなんもあって、サインをくださいちゆうたら、“After the show”とかゆうて、ショーが終わってからあげるよっち。で、ぼく、あまり押しが強くないもんで、あ、そうですか、After the showでお願いします、ちゅうて、そこにとりあえずギター置いて、じゃあ本番も近いしっちゅうことで楽屋を出て…。アルバート・キングさんが(ステージに)出てきたら陽が落ちて、5月でしたけど山ん中の5月で、観てるぼくも寒くなったけど、アルバートさんはこたえたみたいで、はーっ(と手に吹きかける息)ちゅうのが白く見える。で最後メロメロ調子悪かったんです。みるからに音はずれるし、それでもショーの形としてはカッコついて。で、アンコールに出てきて、そん時にウエストロード・ブルースバンドの小堀正くんちゅうベーシストが、キャリアの長いぼくの友達なんだけど、アルバートさんに「I Play the Blues for You」っちゅう名曲、すごく切ない曲で、それ、俺リクエストしたんだ、直接頼んできたちゅうて。そしたらホントにやったんですね、それをアンコールで。小堀くんは大感激しよったけど、ぼくらもそれ聞いとったから、すごい感激なおさらしたけど、ああ、やったね、っち。それでアルバートさんちゅうのが、若い心持っとる人、今のロックシーンに生きとる人。音ひっさげてブルースやって、じゃなくて、いつも眼の前のお客を見よる若い心持っとるブルースマンだっちゅうこと痛感した。 …で、伊香保の時はかじかんで、(ステージを)アルバートさんが下りてきて、「こんなに寒いと思わんやった」「手が手が」ちゅうてから…。ぼく、「After the show」ちゅうサインの約束覚えとったけれども、とてもこんな状態でもらうのは気の毒と思ったんですね、で、楽屋にすぐリムジンが迎えにきて、アルバートさんは半分乗りかけてた。そしたら誰か気のきかんずうずうしいファンがサインしてもらいにきたのね。英語がペラペラできる奴やった。人がいい人やけん、ちゃんと応えてサインしてあげてた。可哀想にっちゅうか、もう気の毒でたまらん。…そして乗りかけてたら、ナベちゃん(渡辺信之)がぼくのギターを抱えて持って来たんです。それ、アルバート・キングとおんなじかっこう(フライングV)なのでバンドの人がまちがえて、それ持って帰ろうとしよったらしい。楽器車に積みこもうとしてて…。で、すみません(サイン)お願いしますっちゅうたら、ふるえながら左手で(右手やったかな)、もう手がかじかんで、こう自分でアルバート・キングっち書いたつもりやけど、こうミミズが這ったみたいに、ぼくのギターに書いてくれたんで、それは大事な宝もんです。 Makoto Ayukawa@(聞き手&構成/岡本おさみ、吉田妃呂) |
俺が初めて買ったアルバートキングのアルバム、1969年7月4日に久留米・小川レコード店にて購入した。
BIG BEAT 1990 No.1
伊香保の時にいただいたアルバートキングのサイン。
1981 GIBSON FLYING V "Bahama Blue"